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伊勢ヶ濱親方(元 横綱 照ノ富士)の想い出フォトを集めました!

一度は大関に昇進しながらも膝の大けがで序二段まで陥落。その後、第73代横綱となった照ノ富士。
不動心で現役を全うした照ノ富士の、入門から引退までの想い出を写真で振り返ります。

伊勢ヶ濱親方は令和8年1月31日(土)に断髪式を控えています。

 

鳥取城北高校で団体戦優勝に貢献し注目を浴び、2代目若乃花の間垣部屋に入門。四股名は若三勝。


平成22年(2010年)12月に新弟子検査。


平成23年(2011年)五月場所で初土俵を踏みました。体格の良さ、佇まいはすでに貫禄がありますね!


同十一月場所では東三段目93枚目で、7勝0敗。後の常幸龍である佐久間山に優勝決定戦で敗れてしまうも、存在感を示しました。


平成25年七月場所。間垣部屋が閉鎖となり、伊勢ヶ濱部屋に移籍した東幕下4枚目の若三勝は6勝1敗という成績で、十両昇進を確実にしました。


平成25年九月場所。新十両となり四股名を照ノ富士に変更しました。
新十両会見では、伊勢ヶ濱親方(元横綱 旭富士)による四股名発表もありました。


同場所、西十両11枚目の新十両でありながら、12勝3敗で優勝。
鏡桜を優勝決定戦で下しました。


平成27年一月場所東前頭2枚目。豪栄道、稀勢の里の2大関に勝利するなどし自身1回目の敢闘賞を受賞。


翌三月場所には東関脇。十三日目には東横綱の白鵬に勝利。
13勝2敗で優勝争いを盛り上げ、殊勲賞と敢闘賞を受賞しました。


同年五月場所。東関脇2場所目で大関琴奨菊や稀勢の里を破り、12勝3敗で幕内最高優勝を果たしました。


場所後、大関に昇進。初・平成生まれの大関が誕生しました。


綱を張るのも時間の問題と思われましたが、両ヒザのケガや内蔵疾患により、14場所で関脇に陥落。


その後は休場が増え、平成31年三月場所では西序二段48枚目まで番付を落としてしまいます。引退会見で照ノ富士は、思い出に残る一番として序二段の初日の取組を挙げています。
「14年間の相撲人生のなかで一番緊張した相撲だった」。


その後、順調に白星を重ねて、令和2年一月場所では十両優勝。


同年七月場所では東前頭17枚目ながら13勝2敗で優勝。技能賞と殊勲賞も獲得します。


令和3年七月場所、東大関の照ノ富士は14勝1敗という優勝に準ずる成績を残し、場所後に横綱に推挙されます。


翌九月場所では横綱になって初めて、自身5回目の幕内優勝を果たします。
観客席はみなマスクを着用しており、コロナ禍であることを感じます。


令和4年10月にはファン感謝祭が行われました。
横綱としてお客様の出迎えやギネス記録に挑戦!手形の早押し企画に出演するなど、ファンサービスにも力を入れました。


令和6年七月場所。自身10回目の優勝を飾ります。


部屋の関取衆の顔ぶれも変わりましたね……。


令和7年4月に行われた巡業。横綱土俵入りでは、愛息・照務甚くんと一緒に土俵入りを行いました。大勢のお客さんの前でも動じることなく、横綱の姿をしっかりと見つめています!


令和7年一月場所。初日に小結の若隆景に敗れ、4日には翔猿に2敗目を喫しました。
一月場所六日目の1月17日、現役引退を発表しました。


引退会見では、初日のあと「もう1回負けたら引退したいと思います」と師匠に意思を告げていたと語りました。

横綱照ノ富士の伊勢ヶ濱親方は、令和8年1月31日(土)に断髪式を控えています。
断髪式については日本相撲協会ホームページをご覧ください。

また、公式ファンクラブでは「伊勢ヶ濱親方にみんなでメッセージを送ろう!」企画も実施中です。ぜひご参加ください。